はじめて外国との接点を持った時の話

私の出身は田舎。その田舎がアメリカは

モンタナ州ビリングスと姉妹提携を組んで

いた時期があって、毎年夏休みに交互に

子どもたちが行き来する交流をしていま

した。(その約13年後に編入した大学が

モンタナやったのは何か縁あるんかな。

住んでた場所はビリングスじゃない

けど。おもしろい。)


5年生の夏休みはちょうど姉妹都市の人たちが

うちの町に来る番。そのときにバレーボールを

通しての交流がありました。ビリングスの高校

から来たバレー部の生徒さんたちとうちの町の

バレーボール部所属の子たちが集まって、

バレーの試合をしたり、日本の遊びを紹介したり

するというもの(小4~6まで私はバレー部)。


バレーボールはチーム関係なく日米混合で

ソフトバレーの試合で交流。その時は小指を

骨折してたからギプスしとるままバレーして

てレシーブで変なとこ飛んでった(苦笑)。

楽しかったというより、全然プレー出来なく

てすいませんみたいな。そういえばそのとき

初めて見たじゃんけんの仕方が新鮮やった。

左手はパーで右手はゲンコツ。右手で左手

3回たたいてワン・ツー・スリーで出すやり方。


ソフトバレーでの交流の後は、小さいグループ

に分かれて日本の遊びをお姉さんたちと一緒に

やる会。自分たちのグループが事前に用意した

日本の遊びは「坊主めくり」。

なんでなん?!

なんで坊主めくりなんて選んだんや?!

(でも実は貴重な遊びではあるかも。と

今になって思いなおす自分。自分たちで

ちゃんと説明できたらもっと意味ある

坊主めくりになってたよな。)


同行しとった通訳の人に遊び方を説明

してもらって体育館で坊主めくり。

坊主がでやんと盛り上がらん遊びやし、

こっちは緊張しとるからいつもより静か

やし、アメリカ人のお姉さんたちは

初めての坊主めくりに「ずっとめくり

続けてるけど、これ何なの?」感がすごい。

双方シーンとしたなかで淡々と小さな

百人一首がめくられてゆく。

は、、、はやく出てきてくれ、

坊主のおっさん!!

「遊びの選択間違ったんちゃう・・・」

って心の中で冷静に思ってたな。


数時間の交流のあとは写真撮影やら

挨拶やらの交流タイム。

個人的に挨拶できるくらい交流は全然

できやんかったけど皆さんからメッセージ

もらったりお菓子もらったり。当時は英語

読めやんし何書いてあるのかわからんかった

けど、今見ると書いてあるのは名前と

住所(!)と背番号。たまに「モンタナに

来てね!」のメッセージ。当時そういう

外国からの人との交流とか全くなかった

から、初めてもらった直筆にワクワク

してた自分。


そして列をなしてアメリカ人のお姉さんから

もらったのはヒマワリの種一つ。たしか

一セント(約1円)をもらってた子も。

みんな英語ができるわけじゃなかったから

いつの間にかヒマワリの種のお菓子を

持ってた一人のお姉さんのところに長打の

列ができていて、自分の意志もなくただ

なぜかそこに列があるからという理由

だけで私も訳もなく並んで。あれは

向こうからしたら迷惑だったと思う。

アメリカ人のお姉さんが

「えっ?!ちょっと何?まだ欲しい人

おんの?」といううんざりしたときにする

仕草をしたのを私は見逃さなかった。


この交流会が初めて外国の人たちと触れ

合った機会やったけど、私の心理的には

なんら気持ちは変わらず(うわっ!外国人や!

どうしよう!とかそういう感情も起こらず)、

初めて会う日本人の人たちにめちゃくちゃ

緊張するように緊張してただけやった。

いろんな生徒さんたちや人たちの外国から

来た人に対しての反応を見てきた今、

当時の自分に対して思うのは、

お~結構やるやん自分。


田舎っていうのもあったと思うし、

当時の状況的にっていうのもあるやろうし、

外国との交流って中学校入るまでこの一回

だけでした。


子どもの頃って自分自らがやりたいことを

選ぶこともあるけど、大人たちが子どもたち

のために用意してくれてできる経験が

いっぱい。その時はたんにバレー部に

所属しててその一環で参加した交流やった

けど、当時の関係者のみなさんには

ほんとに感謝してます。ありがとう。

個別徹底学習英語コーチングapple

三重県津市の英語コーチです。英語コーチングを通して、英語力の向上はもちろん、一人ひとりの考える力をじっくりと磨き、自分らしさを発見するお手伝いをします。自分の言葉で自分なりに表現することを重要視し、自分を掘り下げて広げていけるお手伝いができるような授業を心がけています。

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