2つ同時にして得られるもの~日本語と英語~
一つ前のブログで紹介したロシア語同時
通訳者の故 米原万里さんが「不実な美女か
貞淑な醜女か」で「結局、外国語を学ぶと
いうことは母国語を豊かにすることであり、
母国語を学ぶということは外国語を豊かに
するということなのである」(p.287 最終行)
と言ってたけど、それが自分にもピッタリ
あてはまってるなと思います。留学を考え
始めた当初や、英語に深くかかわるように
なる前までは英語の向上しか頭になかった
けど、結果的に英語の上達が母語の日本語
を磨く意識にも繋がっていっていたのか
なということに振り返ってみると気づき
ます。
私がアメリカに留学していた頃は単純に
「留学してて日本を離れてたから英語は
できるけど、日本語はできないね~」と
いうステレオタイプ的なことを言われる
のは癪にさわるゾと思ってたこともあって
(極度の負けず嫌い)、意識して日本語に
向き合ってる部分がありました。単純に
読書したり何かを書くという行為を通して
言葉に触れるのが苦ではないっていう
のも大きかったかも。あとは今思うと
やりたいことは全部やったらいいじゃない
か。なぜ一つに絞る必要があるんだ的な
考え方をしているところも影響している
のかもしれないとフと思ったり。
だんだん英語に深く関わるようになり、
ボランティアで翻訳をするようになった
り、大学の課題を通して英語でたくさん
書く経験を通じて、日本語ででもしっかり
書けるようになりたい気持ちが湧きあがっ
てきて、英語で学んだ書き方を日本語にも
反映させたくなって、そしてそうやって
書いたものが他人からの評価に繋がったり
すると、ますます向上させていきたく
なって。
そんな出来事の繰り返しを通して、英語が
きっかけで日本語力の大切さみたいなのを
感じるようになって結果的に日本語が磨かれ
ていった(いってる)気がします。といって
も私の母語への知識なんて言葉ではっきり
説明できることは少ないし、まだまだやなと
米原万里さんの著書を読んで痛感している
ところ。
英語をしていると他の方からよく聞くセリフ
に「自分は日本語もしっかりしてないから
別の言語なんて。まずは日本語能力を完璧に
しないとね」ってセリフがあります。
もちろん別に英語は学びたくないけど、
私が目の前にいるから失礼なことを言うの
も・・・というのでこういう言い方をされる
方がいるのもわかっているけど。そういう方
の場合は置いておいて・・・。米原さんも
ご自身の著書で語学は「頂上のない山を登っ
ているようなもの」とおっしゃっていた
ように言葉はめちゃくちゃ奥深くて終わり
がないもの。母語であってもそれは何ら変わ
らない。知れば知るほど言葉って底なし沼の
よう。一つの言語を完璧に!なんて考えて
いたら、人生いくつあっても足りません。
もどかしいところです。
日本語にもままならないのに他の言語も
なんて・・・と考えているその他の言語に
触れることが、実は母語への意識が高まり
豊かになる可能性を秘めているなら、
心配なんてせずそこに飛び込んでいった
方が自分にとってはいいことだよな
なんて思います。
お互いにお互いを高め合っていける
関係なんてステキではないですか。
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