大学院に進もうと思ったわけ
私は2017年4月から2020年9月まで仕事を
しながら名古屋学院大学大学院 外国語学
研究科英語学専攻 博士(前期)課程に在籍
していました。なぜ大学院で勉強しようと
思ったのか?
それはズバリ、「怖かったから」です。
NPO在職中(2012年4月~2016年1月)に
自分が主催したイベントがきっかけで、
新たな目標が見つかった私。それを実現
するには英語講師になるのが一番であると
感じ、近い将来英語講師として起業する
ためにもまずはこども英語教室に転職を
しました。2016年2月のことです。
ちょうど35歳でした。
インターナショナルプリスクールを主宰して
いるこども英語教室に転職したのですが、
朝から14時までは2歳から6歳までの子たちが
通うプリスクール、それ以降は幼稚園から
上は高校生までが通う英語教室でした。
プリスクールの時間に出勤があるときは
英語圏出身の先生の補助、子どもたちの
見守り(トイレやお昼ご飯のサポート、休み
時間の見守りなど)、14時以降は小学生から
高校生の子たちに対しての各種試験対策、
英語ネイティブの先生の授業後のフォロー的
授業、プリスクール卒業生の文法クラス、
人数は少なかったけど中高生のクラスを
担当させてもらっていた私。
英語を中学生のときから勉強してきて、
アメリカの大学も卒業しました。でも
英語ができることと、いい先生か+英語が
うまく教えられるかは全く別物。スポーツ
や音楽などでも同じことが言えますよね。
これまでに英語を教えるための勉強も
したことはありませんでした。以前転職
活動が長引いていたときに塾で英語を
教えるアルバイトをしたことがあって、
その時に教えることの楽しさと、実はこの
仕事が自分に合ってる(少人数に限る)って
いうことには気づいていたけど。そして
長年の英語学習経験やアメリカへの留学
経験があるからこそ伝えられること、
伝えたいことが私にはいっぱいあるとも
思っていたけど。
英語教育業界初心者。でもこども英語教室に
いるだけで自分の英語教育へのバックグラ
ウンドは関係なく「先生」。表面状の立場
だけでそう呼ばれてしまうことに対して、
危険だな、怖いなと感じました。はりぼて
というか、中身がまだまだ伴ってないって
いうか。私「先生」なんて呼んでもらえる
ような、そんな偉い人間じゃないですみた
いな。「先生」と呼ばれることへの違和感。
今も先生と呼ばれることには全然慣れていま
せん。
ただ、そこばっかり焦点がいってると
それはそれで生徒さんや生徒さんの親御さん
に対してとても失礼なこと。そんな自分
グラグラな人に教えてもらいたくないよ
な~って。だから「先生」という言葉で
自分が感じた危険性を逆に良い風に転換
していこうとしていました。
そこから段々と、経験だけじゃなくて英語を
体系的に学び、知識をきちんと身に着けた上
で英語を教えたいと思うようになっていきま
した。自分にとってのメインターゲットと
など関係なく大学院で学ぶか。費用のことも
あるし仕事を続けながらであれば通信制かな
ぁと。色々リサーチを重ねていく中で友だち
の助言もあり、最終的に大学院を選択しました。
自分は英語の中で一番書くことから多大な
影響を受けていたので、自分で起業したとき
も書くことに重きをおいたことがやりたかっ
た。でも日本では書くことの重要性に目が向
けられていない。だからそれを大学院の修士
論文のテーマにして、本当に書くことは重要
ではないのか、自分の独りよがりな考えで
しかないのかを知りたかった。
そういうことを感じてた自分としては、
結果的に論文を書かないといけない大学院を
選択してよかったです。要領の悪い私は仕事
と勉強の両立が本当に大変で鬱になりかけ
たり、3年半かけての卒業にはなりましたが。
勉強で鬱なんてってそれまでは思ってた
けど、心的ダメージはすごかったです。でも
そういう経験も全部ひっくるめて大学院で正
解でした。
----------------
院でのことや修士論文のことなどはまた
違うブログで詳しく書ければ!
0コメント